ドラマ『Dr.コトー診療所』の主題歌「銀の龍の背」歌詞の意味

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ドラマ『Dr.コトー診療所』の主題歌「銀の龍の背」歌詞の意味

「銀の龍の背に乗って」は、2003年7月23日にリリース。中島みゆきの38作目のシングル。前作の「地上の星」(37作目のシングル。2000年7月19日発売)から実に三年ぶり。フジテレビ系ドラマ『Dr.コトー診療所』の主題歌に起用されました。

「銀の龍の背に乗って」の歌詞に込められた3つの意味や、中島みゆきの想いについて解説していきましょう。

テレビドラマ『Dr.コトー診療所』

志木那島診療所のロケ地(与那国島)

『Dr.コトー診療所』は、フジテレビ系列で放送されていた日本のテレビドラマ。主演は吉岡秀隆。山田貴敏による同名の漫画を原作としています。

東京の大学病院で外科医をしていた五島健助。漁船に乗り込み、沖縄本島から6時間かかる志木那島をめざして洋上を行くところからドラマは始まります。

ロケ地「六畳ビーチ」(与那国島)

舞台は、沖縄県八重山列島にあるとされる架空の島志木那島(しきなじま)。『Dr.コトー診療所』は、2003年に連続ドラマとして第1期が制作。

ロケ地となった与那国島。青い海、白い砂浜。自然が美しく、離島での過酷な医療状況とともに、島でのゆったりとした時間の流れや人間関係が情緒豊かに描かれています。

エンディングのロケ地「南牧場線」(与那国島)

主題歌、「銀の龍の背に乗って」

このドラマの主題歌となったのが、中島みゆきが歌う、「銀の龍の背に乗って」。

ミュージックビデオは、北海道礼文島の澄海岬で撮影されました。

「銀の龍の背に乗って」の歌詞の意味に込められた願い:その1手術に使う「医療用のメス」

中島みゆきのベストアルバム「前途」で、みずからが語っているもので、銀の龍は「医療用のメス」と答えている。

古くから中国や日本などでは、龍は水を引き寄せ、雨や洪水を呼び込む生きものと考えられてきた。

水は命の源。同時に、命を奪う怖ろしい存在。

患者の命に向きあい、孤高に挑む医師の象徴でもあるメスは、人の命を救うこともあれば、大きな自然災害のように人の努力ではどうにもならない運命にあらがう存在。

龍の色が、銀色であるのは、手術用のメスの色が銀色であるからだと、中島みゆきはインタビューでも答えている。

「銀の龍の背に乗って」の歌詞の意味に込められた願い:その2「船の白い航跡」

銀の龍は、船が通り過ぎた後に残る、白い波。船が波をきって海を進むとき、船の後には白い波が泡立つ。明るい南国の、すきとおる海では、白波が陽光を浴びてキラキラと輝き、まるで銀の龍の背が長くのびてゆくよう。

これも、中島みゆき本人が語っている。

テレビドラマ「Dr.コトー診療所」の舞台は、架空の島志木那島(しきなじま)。絶海の孤島だ。ドラマでは、主人公の外科医、五島健助が、漁船に乗って、志木那島をめざして洋上を行くところからドラマは始まるが、オープニングのイメージにぴったりの歌詞だと言えよう。

「銀の龍の背に乗って」の歌詞の意味に込められた願い:その3「非力」

「金の龍」ではなく、「銀の龍」であること。

昇り龍のような、強く、たくましく、華やかで神々しい、黄金に輝く、「金の龍」ではなく、弱々しく、もろく、こわれやすく、腐食しやすい、「銀の龍」であること。これも、中島みゆき本人が語っています。

銀の龍とは、歌詞に出てくる「非力」のイメージと重なります。

しかし、銀とは、「純粋」「無垢」「神聖」の象徴。

非力ながらも、時として、黄金よりも勝る強さを発揮することもあるということ。

それは、人間本来が持っている生命力、生命の力。

治すのは医者ではない。患者だ。

患者が、「生きよう」とする力だ。

そんな無言の声が、銀の龍に込められている気がします。

「銀の龍」は、「金の龍」とは対照的な存在として描かれています。

まとめ

中島みゆきの父、眞一郎氏は、産婦人科の開業医。

1975年9月16日、脳溢血のため、意識を失い、51歳という若さで亡くなった。

そのころ、1974年に札幌藤女子大を卒業した中島みゆきは、帯広の実家に戻り、父母が営んでいた中島産婦人科医院を手伝っていた。

1年後、第9回ヤマハポピュラーソングコンテストに「傷ついた翼」で入賞。

1975年9月25日、「アザミ嬢のララバイ」でレコード・デビュー。

その直前に父親が倒れた。

すぐに病院に運ばれたが、意識は戻らなかった。

父親がこん睡状態のなかで、中島みゆきは翌月、第10回ポピュラーソングコンテストつま恋本選会に出場し、「時代」を歌って、グランプリに選ばれた。

1976年1月。意識が戻らないまま、父親の眞一郎氏は亡くなった。

中島みゆきは、「その時、家には10万円のお金もなかったのよ」と、後にインタビューで語っている。

グランプリで渡された賞金5000ドルは、葬式代にあてた。

中島みゆきは、歌を作る時、「もう一人の自分が現れる」という。

「現実に生きている私と、もう一人の私が、隣なり、後ろなりにいるんです。

そのもう一人の私から送ってくる、何かを私は待っているんです」

「銀の龍の背に乗って」

その背中は、父親、眞一郎氏の背中に重なる。

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