引退、現在、孤独孤立、生と死、中島みゆきが結婚しない理由
歌姫、中島みゆき 懐かしい女性
「中島みゆき」は、とても懐かしい人だ。ある深夜ラジオの最終回。最後のハガキで、私のハガキが読まれたことがある。
高校のころ、私は命を捨てる気で、旅に出た。持っていたものは、中島みゆきのレコードだった。
中島みゆき
■本名:中島 美雪(なかじま みゆき)
■誕生日:1952年2月23日(69歳)
■出身地:日本・北海道札幌市
■最終学歴:藤女子大学文学部国文学科 卒業
■職業:シンガーソングライター(ニューミュージック、ロック)
■活動期間:1975年~
■事務所:ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス
■公式サイト:でじなみ
歌手:中島みゆき
中島みゆきは、日本のシンガーソングライター、ラジオパーソナリティ。1975年にシングル『アザミ嬢のララバイ』でデビューした。公式ファンクラブ名は「なみふく」。
オリコンにおいて、4つの年代にわたってシングルチャート1位を獲得した唯一のソロ・アーティストとして紹介されることが多く、他のアーティストへの提供曲が、5つの年代にわたってオリコンシングルチャート1位を獲得。
自身の歌唱も含めると、作詞・作曲を手掛けた作品が5つの年代にわたってオリコンシングルチャート1位を獲得したシンガーである。
中島みゆきの現在
引退か、最愛の母を亡くす
「中島さんはプライベートをほとんど明かしませんが、6年前に同居していた最愛のお母さんを亡くし、相当なショックを受けていたそうです。中島さん自身、2022年2月には70才。“もうこれで一区切り”という思いがあるのでしょう」(音楽関係者)
2020ラスト・ツアー「結果オーライ」
引退、死を予感
2020年、中島みゆきは、そんなに遠くない先に、自分の死も予感している。やがて、順番がめぐってくる。自分がこの世に残せたものは何か。
2021年12月、中島みゆき2020ラスト・ツアー『結果オーライ』が2022年2月2日に発売されることが決まった。
「アザミ嬢のララバイ」「悪女」「浅い眠り」「糸」「麦の唄」「慕情」「誕生」 他 名曲満載の全21曲を収録
アルバムに収録されているのは、1975年のデビュー曲『アザミ嬢のララバイ』、1980年代の大ヒット曲『悪女』、紅白歌合戦で歌唱した『麦の唄』、13年ぶりの歌唱となった『糸』など、ライブで披露されたすべての楽曲、21曲。初回特典には52分ものライブ・ドキュメント映像を収録したDVDもついている。
初回盤(特典Blu-ray or DVD)には、ラスト・ツアーのライヴ・リハーサル、各地舞台裏、「悪女」「糸」「誕生」他、中島みゆきの貴重な歌唱シーンを含むライヴ・ドキュメント映像を約52分という大ボリュームで収録。ラスト・ツアーの様子をさらに楽しめる貴重な初回盤となっている。
新型コロナウイルスの拡大によって中止
“幻”となったラスト・ツアーのライヴCD発売
2020年1月12日東京新宿文化センター大ホールからスタートした、中島みゆきの幻のラスト・ツアー『中島みゆき 2020 ラスト・ツアー「結果オーライ」』。
だが、新型コロナウイルスの拡大によって中止を余儀なくされた。これを完全収録したライヴCD作品(2枚組)が『結果オーライ』で、2022年2月2日に発売される。
中島みゆきがコンサートツアーをスタートさせたのは1976年。『時代』『わかれうた』『りばいばる』『ひとり上手』『悪女』『化粧』『世情』『ファイト!』『糸』『時は流れて』などの歌を発表。
2020 ラスト・ツアー「結果オーライ」』をもって、自身最後のコンサートツアーとなる予定だったが、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、10都市11会場24公演のうち8公演のみで終了。
さらに、このラスト・ツアーの再開がないことが決まり、貴重なラスト・ツアーはまさに“幻のラスト・ツアー”となっていた。
幻のCD 「結果オーライ」
当初、このCDは発売される予定はなかった。音源や映像はあくまでも記録用に収録、撮影されたものだった。
しかし、ラストツアーなのにファンに顔を見せられなかったということで、ライブの中止が決まり、中島みゆきは急きょ、発売を検討。中島みゆきの強い想いがあって、実現できたCDだった(音楽関係者)。
中島みゆきはこの数年、仕事をセーブし、ほとんど表舞台に姿を現してこなかった。幻のCD 「結果オーライ」は、会えなくなったファンへの、おそらくもう会うことのないファンへの最後の想いが込められていたのだろう。
中島みゆきは引退?ラスト?
なぜなら、ファンが気になっているのは、CDのタイトルが『2020ラスト・ツアー「結果オーライ」』だからだ。中島みゆきが、同名のツアーをスタートさせたのは、2020年1月12日のこと。これが自身最後のコンサートツアーとなる予定だった。
ところが新型コロナのため2月28日以降の公演が中止になり、開催されたのは10都市11会場24公演のうち、わずか8公演のみ。当初は「延期」とされていたが、結局、そのまま中止となってしまった。
「ラストツアーということで、必死にチケットを取りました。だって、死ぬまでに一度は生で中島みゆきさんの歌声を聴きたかったから。コロナで中止と伝えられた後も“もしかしたら”と内心、再開を期待していたんです。でもCDを発売するということは、もう絶対にツアーはないということですよね。“念押し”されたようで本当にショックで……」と、ファンは語る。
しかし、中島みゆきは、『生きていてもいいですか』というアルバムを発表。その後も、元気に生きている。案外、けろりと、また全国ツアーを再開させてしまうかもしれない。
中島みゆきの歌、歌詞
多くの人々が惹かれるのは、中島みゆきの歌詞だ。
日常風景の一部を切り取り、そこを行き来する男と女や働く人々をテーマにし、その一人一人にスポットライトを当て、その心情を曲にのせるものが多い。
「私の歌を聴いて、この世にひとりゾクッとする人がいるのよ」と、インタビューで語っているように、中島みゆきの歌には非常にリアリティがあり、多くの人々の共鳴を呼び起こすのはこのためだろう。
中島みゆきは、プライベートでも決して本音を語らない。匂わす、のだ。それは、非常に巧みな比喩表現にも見られる。
聞き手によって、それぞれ異なった意味を受け取ることができる。普遍的なテーマを歌詞にしていることも特色だ。
1991年発売のアルバム『歌でしか言えない』収録曲の『永久欠番』。この曲は、「人は誰しも唯一無二の存在である」ということをテーマにした曲で、歌詞は東京書籍から発行された中学3年生向けの国語の教科書『新しい国語』に掲載されている。
永久欠番の意味とは?
人は誰もがかけがえのない存在
アルアルバム『歌でしか言えない』の最後に収録されている、「永久欠番」。当時、中島みゆきはインタビューで、こんな風に答えている。
……
あのね、死を余儀なくされるっていうことを見ることが多くてね。
もちろん生まれてくるのもたくさん見られるんだけれど。
すると、あれだけ一生懸命いろんなことやろうとしても死んだらおしまいよねって言い方があるでしょ。
でも、ほんとに死んだらおしまいなのかしらってとこで、せめて欠番であって欲しいじゃないかって思ったんです。
私は、死ぬことそのものには絶望は感じないんだけれども、絶望的であるというか悲しむべきことは、”かけがえがある”っていうことだと思って。
自分が死ぬこと自体はそりゃあ生き物である以上しょうがないとしても、その生きてたってことが別に自分じゃなくてもよかったんだと、それじゃあ、はじめからいなくてもよかったんじゃないかというんじゃあ、悲しいことだと思うのね。
いったい、かけがえのないものってのがあるのか、ないのかって考えたんです。
特に生きようとして生きられない人っているでしょ?
それとか、もうダメだって宣言されてもギリギリまで生きようとする、そういう人に尊敬を感じることがあったもんですから…。
『ファイト!』の歌詞に込められた想い
時代を経て歌い継がれている歌
『時代』と並んで、今も歌い継がれている歌が、『「ファイト!』。1983年に発売された10枚目のオリジナルアルバム『予感』の最後に収録されている歌だ。
中島みゆきの『ファイト!』。歌の出だしは、こんな歌詞から始まる。
ファイト!
これは、中島みゆきがパーソナリティを務めた、「中島みゆきのオールナイトニッポン」で、番組終了前の最後のハガキで読まれた少女がモデルになっている。
みゆきさんこんばんは。毎日楽しく聞いています。
私は中学を出てすぐに働いて2年になる17歳の女の子です。
この間私の勤めている店で、店の人が私のことを
あの子は中卒だから事務は任せられないと言っていたのを聞いてしまいました。
私、悔しかった。
悔しくて悔しくて泣きたかった。
中卒のどこが悪いと言いたかった。
私だって高校へ行きたかった。
だけどうちのこと考えたら私立に行くなんて言えなかったし
高校に入る自信もなかった。
なのにこんな風に言われるなんて、ひどい。
ごめんなさい愚痴を書いてしまって、またお便りします。
ペンネーム:私だって高校へ行きたかなった。
っていただきました。
えー、高校へ行きたかったあなた、女の子です。
私は、まぁあんた本人じゃないから、自分の基準でしかものを言えないけれどもね
偉そうなことを言っちゃえば
どういうところを通ってきたかっていうことよりもね
そこで何をあんたが吸収してきたかってことだと思うわけよね
理想論かもしれないけど。
でまぁそら、周り中の全ての人間にさ、
あなたのよさをわかってもらおうとかいうのはそら無理なことだけど
わかってくれる人も、どっかにひとりはいるかもしれないとかね
それから誰かにわかってもらおうとするとかさ
そんな風に思うことだって素敵なことじゃないだろうか。
ファイト!
『糸』の意味
今や結婚式などでも、よく歌われるようになった歌、『糸』。1992年発売の20枚目のオリジナルアルバム「EAST ASIA」の最後のアルバム曲の一曲だった。発売当時はそれほど話題にならなかった。
だが、Mr.Childrenの桜井和寿が『糸』をカバーしたことがきっかけで、若者を中心に多くの人々に知られることになった。
この『糸』も歌についても、中島みゆきはこんなふうに語っている。
中島みゆき:かたっぽだけじゃ、できることに限界があるっちゃねぇ、っていう歌だわね。男には男の特性が、女には女の特性があって、どっちが上とか、どっちが劣るとかいうことじゃなくてね、それぞれの特性のいちばんおいしいところを合わせて、はじめて物事ってうまくいくんじゃないかってつくづく思うんで。それは「EAST ASIA」から「糸」まで、アルバムの曲全部通して言ってることかな。
最近は、女が強いとか、やっと女が権力を得てきたとか、いろいろ言われているけれど、今まで女が下だったとか、そういうことじゃないんじゃないかと思うの。どこまでいっても違うもんは違う。違うからお互い触発されることもあるし、お互い必要なこともある。最終的に男と女がまったく同じものになったら理想的というんじゃないんじゃないかいお客さん、てのがあるよね。
ドキッとするような言葉を、さらりと歌ってしまえる中島みゆき。27歳の若さで急死した尾崎豊にも通じる部分がある。
若いころから影響を受けた詩人は、谷川俊太郎。1976年のデビュー・アルバム『私の声が聞こえますか』には、『歌をあなたに』にという歌が収録されているが、谷川俊太郎の影響を濃く落としている。
「新型コロナウイルスの影響で、ラストツアーは中止。その後も、予定された振替公演もキャンセル。今後の具体的な音楽活動も白紙の状態。みゆきさんは常に明確なビジョンを持って3年先の活動計画をきっちり立てるタイプなので、予定が決まっていないのは異例中の異例。もうすぐ古希を迎えることもあり、何らかの心境の変化があったのかもしれません……」と、レコード会社関係者は語る。
70歳を迎える、中島みゆき
間もなく、70歳を迎える、中島みゆき。「NHK紅白歌合戦」から、五木ひろし、北島三郎、森進一、美川憲一、和田アキ子らが、消えていった。昭和の名曲『神田川』の作詞者、喜多條忠(きたじょう・まこと)は、2021年11月22日午前6時、肺がんのため亡くなった。74歳だった。
声が出ない。歌えない。そんなプレッシャーに加えて、自分自身の生命としての時間も限られてきている。
新型コロナウイルスの終息は見えない。中島みゆきの関係者は「ひょっとしたら、このまま引退の可能性も?」と気を揉む毎日だという。
「そもそもみゆきさんは極端に人見知りなうえ、物音ひとつにも反応するほど神経質。仕事をするのは、音楽について意見が一致する人とでないとコミュニケーションが難しいんです。しかも大御所なので年下の関係者はなかなか近づけないし、年齢を重ねるにつれ、昔からの知り合いや理解者がリタイアしたり、鬼籍に入ることが増え、ますます孤高の存在になっています」(音楽関係者)
2014年1月には中島みゆきを長年支えたポニー・キャニオンの元常務取締役・渡邉有三さんが64才の若さで他界した。
「人前に出るのを嫌うみゆきさんが通夜に参列したことからも、故人との仲がしのばれます。あのときのみゆきさんは、本当に寂しそうな表情を浮かべていました」(音楽関係者)
同じ年の暮れには、最愛の母も旅立った。プライベートをほとんど明かさない中島みゆきは、これまでその事実を公表せず、業界内でも母の死を知る人は少なかった。
「お母さんと同居していることは有名だったので、いまも母娘でひとつ屋根の下に暮らしていると思っていました。亡くなったことを6年近くも胸に秘めていたなんて……。
思い起こせば、2014年の『NHK紅白歌合戦』に12年ぶりに出演したみゆきさんは、NHKの朝ドラ『マッサン』の主題歌『麦の唄』を熱唱しました。みゆきさんの故郷・北海道を思わせるしっとりした歌に感動したのを覚えていますが、その数日前にお母さんが亡くなっていたことを知って、『彼女はお母さんをしのびながら歌っていたのか』と、また別の感慨にとらわれました」(芸能関係者)
『時代』(じだい)は、中島みゆきが作詞・作曲した歌である。1975年に中島自身によって発表され、同年に中島の2作目のシングルとしてキャニオン・レコードからリリースされた。その後も別バージョンがたびたび作られ、アルバムやシングルに収録されている。また、他の多くの歌手によってもカバーされている。また、この曲は日本の歌百選に選ばれた。
当時、中島みゆきは、病気で倒れた最愛の父のために歌った。家には10万円のお金もなく、自分自身が父や母や弟を守るため、目を閉じた父親が再び目を開け、自分が歌っている姿を見てもらうため、中島みゆきが歌った歌が、『時代』だった。だが、その想いは父親には届かなかった。
『時代』の歌は、一青窈もカバーしている。
一青窈は、こんな風に語っている。
この曲は「時間が解決してくれる」と言う慰めだけに留まらず、もっともっと根幹を成す自力で立ち上がろうと言うそもそもの人間の持つ本来ある底力に強い信頼を寄せた力強さのある楽曲だと思っています。
中島みゆきさんがこの曲を作った当初に描き出した風景とは形は異なるかもしれませんが、私なりに解釈した気持ちと風景を込めて大切に歌い継いで行きたいと思う曲ですね。
中島みゆきは、いまも独身
一度も結婚はしていない。
年齢を重ねるなかで親しい人が去り、孤独感が深まる中で、自分の死を静かに見つめた「ラスト・ツアー」。
「ツアー初日には、『閉店セールと書いて3年やっている店と同じで、まだまだやるんですわ』とファンに報告したものの、近年の彼女が活動をセーブしていることは明らかです。親しい人の死や老い、新型コロナが積み重なり、『そろそろ一区切りかも』との感情が生まれてもおかしくない。気の早い関係者のなかには、『あの歌声が聴けなくなるかも』と心配する人もいます」(別の芸能関係者)
※女性セブン2020年9月24日・10月1日号
ラストツアー中止の中島みゆき 「このまま引退」の懸念
中島みゆき 現在の年齢
■生年月日:1952年2月23日
■2022年2月23日で70歳
中島みゆき 現在の住まい
東京都世田谷区の閑静な住宅街に建つ立派な大邸宅
中島みゆき 実家
中島みゆきの出身は、北海道。
5歳の時に、札幌市から岩内町に引っ越し、11歳まで岩内町で暮らしていた。
その後、岩内から帯広に引っ越し。
父親は、医師(開業医、産婦人科)。仕事の関係で引っ越しが多かった。
中島みゆきには、海をモチーフにした歌が多いが、岩内町の海が幼少期の記憶に残っているためと思われる。
中島みゆき 若いころ 可愛い
中島みゆきの若いころは、可愛い。北海道出身らしく、色白の美少女。
今も、しなやかな美しさがあるが、『わかれうた』を歌っていたころは、まだ学生の雰囲気が残っていて、昭和フォークの香りを漂わせていた。
ストレートロングの長い髪
『時代』のころは、三つ編みをしていた。素朴な美しさがある。
顔の好みは人それぞれ。人生の悲哀をよく味わっている人には、中島みゆきの美しさがよく感じられる。
中島みゆき 老けない
「中島みゆきってなんでそんなに若いの?」「化粧の仕方を教えて」「松田聖子と中島みゆきはなぜあんなに若い」「老けないのか」といった書き込みが見られるが、それは好きな歌を好きなだけ歌い、今も多くの人々を魅了し続けているからに他ならない。
中島みゆき デビューから現在まで
■幼年期~デビュー前
祖父は帯広市議会議長なども務めた中島武市
父・眞一郎は北海道帝国大学医学部出身の産婦人科医で中島産婦人科院長
札幌市に生まれ、5歳の時に岩内に引っ越し、11歳までを岩内で過ごす。
帯広に移り、帯広柏葉高校を経て、藤女子大学文学部国文学科を卒業。
■デビュー、1970年代後半
1975年5月、『第9回ポピュラーソング・コンテスト』に「傷ついた翼」が入賞。
9月には「アザミ嬢のララバイ」でキャニオン・レコードからレコードデビュー。
1975年10月の『第10回ポピュラーソング・コンテスト』に「傷ついた翼」から急遽差し替えた「時代」によってグランプリを受賞。11月の『第6回世界歌謡祭』でもグランプリを受賞。
■1980年代
1979年、ニッポン放送『中島みゆきのオールナイトニッポン』(月曜1部)がスタート。
1981年のシングル「悪女」はオリコンのシングルチャートで自身2度目の1位を獲得。
1982年発表のアルバム『寒水魚』が同年のオリコンの年間アルバムチャートで1位を記録。
■1990年代
安達祐実主演の日本テレビ系列『家なき子』の主題歌として書き下ろされた1994年の「空と君のあいだに」は147万枚のセールスを記録。
■2000年代以降
中島のシングル「地上の星/ヘッドライト・テールライト」が、NHKのテレビ番組『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』の主題歌に採用。これまで馴染みの薄かった中高年層のサラリーマンを中心に大きな人気を集め、最終的にオリコンのウィークリーシングルチャートTOP100に連続174週にわたってランクインするという驚異的な記録を打ち立てる。
2002年の第53回NHK紅白歌合戦に出場。『プロジェクトX』内でもとりあげられた黒部ダム(黒部川第四発電所)からの中継で「地上の星」を歌った。
番組中最高の歌手別視聴率(52.8%:ビデオリサーチ調べ/関東地区)を記録。
2005年12月28日には『プロジェクトX』の最終回に出演。スタジオで同番組エンディングテーマ「ヘッドライト・テールライト」を熱唱
2009年11月3日、紫綬褒章を受章
2014年9月よりNHK連続テレビ小説『マッサン』の主題歌として「麦の唄」が使用。同年12月31日の第65回NHK紅白歌合戦に出場し、同曲を歌った。2002年以来12年ぶり、2回目の紅白歌合戦出場となる。
孤独孤立、生と死、中島みゆきが結婚しない理由
中島みゆきが結婚しない理由
中島みゆきは一度も結婚したことはなく、子供もいない。独身。
その理由については、ネットや週刊誌などで書き立てられているが、勝手に書かれたものばかり。
女優の竹内結子や、神田沙也加の自殺のように、本人の胸の内に秘められたもので、外部がとやかく言うものではない。
中島みゆきが結婚しない理由については、ネットなどで以下のように書かれている。
■母の介護をしていたため
■高校時代、学生時代に付き合っていた彼を亡くし、心の傷がずっと癒えない
■プロデューサーと不倫している
■仕事と家事を両立できない
■結婚のチャンスを逃した
「結婚のチャンスを逃した」は、中島みゆきがテレビで語っていたことで、いつもの韜晦術だ。
※韜晦(とうかい)の意味は、自分の本心や才能・地位などをつつみ隠すこと
過去に松山千春の名前が彼にあがっていたことがあったが、本人同士は否定。
中島みゆき
ずうっと昔、そう20年以上も昔、週刊誌に書き立てたりしましたが、誰かが勝手に書いたこと。私はこれからも堂々と友だちとして付き合っていくつもりです
松山千春
中島みゆきさんともし一緒になっていたら、ヒモ男になっていた。
これからも先輩シンガーとしてリスペクトしていきます。
瀬尾一三と事実婚状態との噂も
かつて音楽プロデューサーの瀬尾一三と同棲し、事実婚状態だとの噂もあった。
中島みゆきの歌に『空港日誌』という歌があり、これは既婚者との恋愛との解釈もなされている。
1980年代にはギタリストとのホテルからの朝帰りと、写真週刊誌にスクープされたが、仕事関係で泊まることもあるだろうし、一回セックスしたからといって恋人というわけでもない。真相は不明のままだ。
高校時代に付き合っていた彼が、学生紛争で死んだとの噂もあるが、これもまったく根拠がない。
ただ、中島みゆきの歌には、恋人の死を歌った歌が多い。
『まつりばやし』『キツネ狩りの歌』『雪』『ほうせんか』などといった歌だ。若いころに歌った『時は流れて』は、失恋の歌に思えるが、永遠の別れを歌っているようにも感じる。
中島みゆきの歌に、死をイメージした歌が多いのは、愛する父親・眞一郎氏を歌っていると解釈する人もいる。
結婚のチャンスを逃したから
「仕事に打ち込んでいた」「相手が見つからない」「理想が高い」などといったことも書かれているが、これは親しくもない外部の者が勝手に言っているだけのこと。
孤独孤立、生と死、中島みゆきが結婚しない理由
中島みゆきは孤独な人だ。
びっくりするくらいに自分の素直な気持ちを歌っている。
中島みゆきは、愛が好きだ。だが、その愛を受け止める男はいない。
平安時代の歌人、和泉式部は、“恋多き女”と呼ばれ、噂にのぼった美男、才能や権力を持った男性は多かったが、和泉式部をまるごと、すべて受け止めるほどの器の大きい男はいなかった。
中島みゆきほどの、膨大な歌を歌い、それほどのエネルギーをすべて受け止めるだけの男は、少なくとも日本にはいない。
アレクサンダー大王だけだろう。もしくは、銀ちゃんこと、『銀魂』の坂田銀時くらいなものだろう。
結婚していたら、中島みゆきの歌が誕生していない
満たされた恋愛、孤独を感じることのない、幸せな恋愛、幸せな生活、愛に満たされた生活をしていたら、悲しみや孤独の歌を歌う必要はない。
恋人は好き。だが、その恋人を恋しく歌に詠む、歌姫としての自分。雨が好き。愛が好き。けれど、孤独が好き。
孤独にならなければ歌えない。
『時代』『ファイト!』『永久欠番』『糸』のような歌は、結婚していたら誕生しなかった。結婚したら、ユーミンこと、松任谷由実のような違った歌が誕生したかもしれない。だが、中島みゆきは、それを選ばなかった。この世に、ユーミンが、ベートベンが二人いても、仕方ない。
中島みゆきの歌に宿る、歌の神様は、みゆきの結婚に反対していたのかもしれない。みゆきだけの歌を歌えと。
孤立と孤独
孤立と孤独の違いは?
「孤立(こりつ)」は、「他から離れて、つながりや助けがないこと」「仲間がいなくひとりぼっちなこと」の意味。
「孤独」とは「ひとりぼっちであること」という意味。「志や考え方などが同じ人や精神的なつながりのある人が自分の近くにいなくて1人になること」
「孤立」は状況を表す言葉で、「孤独」は気持ちを表す言葉。
似たような言葉に、「寂しい」と「淋しい」があるが、両者の意味の違いは、「寂しい」が、「物足りなさ、ひっそりした様子」「孤独感」などの意味。
「淋しい」は、もっぱら「(人が)孤独を感じているニュアンス」を表している。
「孤独」とは、精神的なつながりのある人がいないということ。
この状態を、「淋しい」と感じるのか、「居心地がいい」と感じるのか、同じ人でも状況によって異なる。
「孤独」を愛する人は、しがらみを嫌う。
人は、ひとりで生まれて来て、誰かとつながり、最後は一人で死んでゆく。
「最後は一人」
孤独というのは、自由に生きること。
ムーミンの親友、スナフキンは、『孤独』を求めて旅を続けている。
「孤立」とは、人との関係が絶たれ、ひとりでいることを強いられた状態。
「孤独」は、みんなと一緒にいることと、ひとりでいることを主体的に選べ、ひとりでいることを選んだ状態。
中島みゆきは、孤独だが、孤立していない。
松山千春のような同志がいる。
中島みゆきが結婚しないことについて、仏教の開祖、ブッダ(お釈迦様)なら、こういうだろう。
「ぜんぜん良いではありませんか」。
孤立感・孤独感を深めた『拡大自殺』が拡大
新型コロナウイルスのせい?
「北新地放火殺人」「東大前刺殺事件」など、孤立感・孤独感を深めた『拡大自殺』が拡大している。日本は今後、若者や中高齢者を中心に、この種の凶悪な犯罪がますまず増加する。
多くの死者を出した「北新地放火殺人」について、大阪府警は「大勢の人々を巻き込み、自殺を図る『拡大自殺』だった」と見ている。
日本の最高学府、東京大学(東大)前の路上で、愛知県内の名門校に通う高校2年の男子生徒(17歳)が、刃渡り約12cmの包丁で通行人3人を次々に刺した。
犯人の男子生徒は、医学部進学実績全国No.1の超エリート男子校、東海高校というのが、週刊誌などで明らかにされた。
名古屋市内でも有数の私立の進学校。毎年、東大と京大に多くの合格者を出し、医学部に進学する学生も多い。
少年は犯行動機について、『医者になるために東大を目指し勉強していたが、1年前から成績が振るわなくなり自信をなくした。医者になれないなら、人を殺して罪悪感を背負って切腹しようと考えた』と語っている。
日本では近年、こうした『拡大自殺』は後を絶たない。2019年には神奈川県川崎市で、小学生らを殺傷した男が直後、自ら命を絶った。2020年には、東京・京王線の電車内で起きた殺人未遂事件では、逮捕された男が「死刑になりたかった」と供述した。
「頭のおかしい特殊な人」というわけではない。ある時期までは、結婚もして子どもをつくり、普通に学校に通い、だが、離婚や退職、学力低下、離婚、経済的貧困といった喪失を体験し、さらに孤立や孤独感を深め、自殺にまで追い詰められての犯行だった。
「今から人を殺して自分も死ぬ」
以前は、そうしたことを言うだけだった。しかし、最近は実際に行動を起こす。
新型コロナウイルス感染症と日本人
日本人の精神性の悪
日本人は「やさしい」「まじめ」「誠実」「親切」などと、海外などから評価されることがあるが、陰湿で悪質なポーカフェイスの面も指摘されている。
2019年12月に中国で初めて報告され、今もなお世界的な流行を見せている感染症、新型コロナウイルス(COVID-19)。
日本では自粛・制限が続き、時間短縮や休業していない飲食店に対して、直接店に言うのではなく、警察に通報するなど、自分の手を汚さずに相手を攻撃する人が多い。
「蔓延防止だ」「イベント中止だ」と自粛一色の日本だが、欧米諸国ではイベントは普通に行われ、感染したことによって冷たい目で見られることもない。コロナに感染したからと言って、社会から孤立することは少ない。
新型コロナウイルスで一日に約1万人の新規感染者、約400人の死亡者を出しているイギリスでは、ジョンソン英首相が、公共交通機関や学校でのマスク着用義務などを廃止すると表明し、規制をほぼ撤廃した(2022年1月19日)。
怖いのは、コロナ自体ではなくて、その国の対応力とか、国民のものの考え方だ。
日本経済が低迷を続ける真の理由
日本人の意地悪さが原因か
「十分な内需があるはずの日本が、他の先進国のように成長できない大きな要因は、日本人のメンタルにあった」
こんな研究結果が、大阪大学などの研究結果で分かってきた。
日本経済はバブル崩壊以降、約30年間にわたってほとんど成長できない状況が続いている。
日本が成長できなくなった理由。経済を支える製造業が、グローバル化とIT化の波に乗り遅れ、国際競争力を失ったことなどがあげられる。
だが、輸出競争力が低下しても、国内消費(内需)で成長を継続できるケースが多く、アメリカやイギリスは、製造業の衰退後も内需を原動力に高成長を続けている。
ところが、日本は十分な内需が存在しているのに、どういうわけか日本の国内消費は低迷が続いている。これが、経済の低成長の元凶となっている。
消費増税が原因であるとも考えられるが、欧州各国が15~20%という高い消費税率であるにもかかわらず、順調に成長している現実を考えると、この理屈は当てはまらない。
日本だけが、なぜ消費を拡大できない理由は、長年、謎とされてきた。だが、経済学と脳科学を組み合わせた学問の発展によって、新たな研究成果が得られてきた。
その驚愕の理由とはーーー
日本人は諸外国と比較して「意地悪」な人が多く、他人の足を引っ張る傾向が強いというものだ。
日本人はすぐ他人の足を引っ張る
大阪大学社の研究グループによると、被験者に集団で公共財を作るゲームをしてもらったところ、日本人はアメリカ人や中国人と比較して他人の足を引っ張る行動が多いという結果が得られた。
日本人は、「他人を他人と割り切れず、互いに相手の行動を邪魔している」ことが判明した。
日本では、何か新しい技術やビジネスが誕生するたびに声高な批判が寄せられる。
また、ビジネスなどに成功しても、すぐに妬まれて攻撃を受ける。
「幸せそうな人」「成功している人」を見ると、猛然と腹を立てる。
勝ち組に見える女性を電車内で刺し、「自分が孤立している」「孤独だ」「うまくいっていない」からという理由で、まったく何ら関係のない人を刺し殺す。しかも、相手は自分よりも弱い者ばかり。まったく、無抵抗な弱者に、妬みや社会的不満のホコ先が向けられる。
「東大前刺殺事件」など、孤立感・孤独感を深めた『拡大自殺』が拡大している。日本は今後、若者や中高齢者を中心に、この種の凶悪な犯罪がますます増大していくだろう。
こうしたネガティブな、負の連鎖は、日本人のメンタル部分に大きく潜んでおり、日本経済が成長できないのも、こうしたネガティブな思考や感情が働いているという疑いがもたれている。
たとえば、ある大学の研究グループによると、「新型コロナウイスルに感染するのは自業自得だ」と考える日本人の比率は11.5%と、中国の4.83%やアメリカの1%などと比べて突出して高かった。
日本人は、「孤独が好き」
「孤独耐性」が高すぎる日本人
2021年2月、内閣官房に「孤独・孤立対策担当室」が設置された。
海外の人々が感じるのは、「日本人は孤独を好み、孤独に強い」ということ。
仕事の後や休日も1人で過ごす人が多く、ひとりで外食し、ひとりで映画を観たり、ひとりで旅に出かけたりする。
海外諸国では、国民にソーシャルディスタンス(社会的距離)を取らせるのに苦心しているという。
罰則を強化して、外出禁止を命令しても、隠れて集まる人たちが続出。自宅でおとなしくしていることにすっかり飽き、通勤もパーティーも社交も、友人・親戚間のお泊まり会もすっかり元のとおりに復活している。
「このコロナ禍で、法的な拘束力や罰則がなくても外出を控えて自宅でおとなしくしていられるのは日本人くらいだ」と驚嘆する。
家族や友人と集まりたくなるのが人間らしさだが、真面目にステイホームしていられる日本人は特殊だとの見方が強い。
中高年男性が軒並みハマる「孤独の美学」
世界一孤独な日本のオジサン
『孤独のすすめ』『孤独の力』『極上の孤独』.
「孤独」を美化し、推奨する本が次々と出版されている。多くの読者は、中高年男性を中心とする日本人男性だ。
群れから外れて精神的にも自立。一人の時間を楽しみ、有意義な時間を過ごす。自分自身の成長へとつなげる。
国立社会保障・人口問題研究所のでは、65歳以上の高齢者で1人暮らしをしている男性は全体の15%(女性は5%)。
7人に1人が、会話の頻度が2週間に1回以下という結果だった。
65歳以上で一人暮らしの男性の30.3%(女性は9.1%)が「日ごろのちょっとした手助け」で頼れる人が「いない」と答えた。
アメリカの財団による日米英の孤独に関する調査では、孤独であると回答した人のうち、10年以上、孤独であるという、日本人の割合が35%であり、アメリカ(22%)、イギリス(20%)より圧倒的に高かった。
日本人は孤独を好んでいるのか?
いや、そうではない。人といることは確かに楽しいかもしれない。
しかし、「しがらみ」「うわべだけの付き合い」というのが多く、人と付き合うことが「おっくう」「わずらわしい」と考える人も多い。
若者の恋愛離れが言われて久しいが、彼女を作るのはお金たくさんかかり、非常に煩わしい。性欲はAV女優や性風俗などで満たし、精神的な充足感はゲームやアニメで満たすといった若い男性が増えている。
一方、「200人に一人がAV女優」というデーターもあり、毎年数千人の日本人女性がAVデビュー。同じくらいの数が、その年に消えてゆく。
孤独を感じながら、誰もが「誰かとつながりたい」という欲求を持っている。
だが、中島みゆきは言っている。
人は、人を求めている。
中島みゆきの歌には、孤独を歌ったものが多い。
中島みゆきは、一人がいいのか、と言えばそうでもない。
「人は、人を求めている」と、中島みゆきは言っている。
おわりに
若いころの中島みゆきの歌には、怨みや憎しみ、悲しみなど、露骨な表現が多く、現在の中島みゆきは若いころの歌をあまり歌わなくなった。
中島みゆきの過去に、どんな怨みや憎しみ、悲しみがあったのかわからない。孤独を歌った歌も多い。『タクシードライバー』『りばいばる』という歌がそうだ。
孤立、孤独。だが、中島みゆきは、電車の中などで見知らぬ人を刺し殺したり、病院などで火を付けたりして、大量殺人を行うことはなかった。心の中、頭の中では考えたかもしれないが。そうした感情を原動力に名曲を生み出し、多くの人に支えられて、これまで生きてきた。
人気が低迷していた時もあったが、新しい音楽を模索した。
中島みゆきと言えば、『化粧』『エレーン』『時は流れて』『悲しみ笑い』に見られるように、“泣きのみゆき”と呼ばれて、「暗さ」「根暗」の代名詞だった。
だが、現代の若者たちには、『ファイト!』『時代』『糸』といった歌がイメージされ、それらは応援歌として受け止められている。
ただ、古くから中島みゆきを知る者としては、いつか、一度でいいから、『時は流れて』を生で聴きたいと思う。『ファイト!』は生で聴いたことがある。ちょうど、阪神淡路大震災のころで、中島みゆきは無言でメッセージを伝えてくれたのだろう。
この『時は流れて』は、何十年にもわたって聴いている歌であり、年を経るほどに味わい深い。こんな歌を作れる歌手は、中島みゆきと和泉式部だけであろう。
和泉式部は、病気で死ぬ間際に、こんな和歌を詠んでいる。
あらざらむ この世の外の 思ひ出に
今ひとたびの 逢ふこともがな
歌の意味は、
もうすぐ私は死んでしまうでしょう。あの世へ持っていく思い出として、今もう一度だけお会いしたいものです。
死の間際に残した歌。和泉式部が、最後に逢いたかった人は誰なのか。
和泉式部も、最後に逢いたかった人も、とうの昔に、1000年以上も前に死んでしまったが、その歌の魂は今なお生き続けている。
恋愛や生きることの悲しみ、苦しみがある限り。日本文化特有の孤独と孤立がある限り、中島みゆきの歌は消えることはないだろう。
“引退説”を初めて語る、中島みゆき
吉田拓郎の引退に、「キャハハ」と笑顔
もともとメディアへの露出を嫌う中島みゆき。
そんな中島みゆきの最新情報(2022年8月)を週刊誌がスクープした。
中島みゆきの引退説は、まことしやかにささやかれていた。
「中島さんは拓郎さんの大ファンなんです。かつては追っかけまでしていたそうですから、拓郎さんの引退を機に自分も“歌じまい”と考えたのかもしれませんね。デビューして45年以上たちますし、一緒にコンサートを作ってきたスタッフも高齢になって引退する人も少なくありません」(レコード会社関係者)
だが、中島みゆき本人の口から語られることはなかった。
2022年8月中旬、36℃を超える猛暑日。東京・渋谷に中島みゆきの姿があった。
白のレースカーディガン。
スリムジーンズ。
イタリアのセレブなマダムに人気のブランド『ルコライン』のスニーカー。
スペイン発のブランドのキャリーバッグを手にひいて。
キャリーバッグのほかにも、大きなボストンバッグ。
警視庁のマスコットキャラクター『ピーポくん』のキーホルダーが取り付けられたリュックサック。
ネックポーチまでぶら下げていた。
渋谷を歩く多くの人々は、中島みゆきだと誰も気づかない。
70歳の高齢者とは思えない、新鮮さ。
しかし、それは多様な「東京」に埋没していた。
髪が薄くなり、高齢者を感じさせる。
だが、目も気力も生き生きとしている。
いきなり話しかけてきた記者に対し、中島みゆきは、
「あらあら、暑いのに……本当にご苦労さまですねぇ」と答えた。
若いころは、こんな非礼なメディアに嫌悪感をむきだしにしていた。
だが、もう角が取れ、川に磨かれた石のようにまるく穏やかになっていた。
―――引退説の真相は?
「アハハハ! 私もいい年ですからねぇ。アハハハハ!」
中島みゆきは、けらけらと楽しそうに笑うだけ。
これも深夜ラジオの時と変わっていない。
―――今後の予定は決まっているの?
「ツアーはラストでしたけど、コンサート自体はもう予定が入っているんですよ。それに今はアルバムのレコーディングをしています。出るのは来年の2月か3月かしら」
中島みゆきは、まだ引退しない。
音楽活動は続けていくようだ。
―――吉田拓郎の引退説については?
「その引退ってホントかなぁ?(笑)。また気が向いたら、キャハハ、なんかするかもしれないわよねぇ?」
これも、深夜ラジオの時のように、いたずらっぽい笑顔で軽く交わした。
絶対に本音を言わない。
軽く、ただ匂わすだけ。
これは、中島みゆきの世界観だ。
中島みゆきは、吉田拓郎のファンである。
そんな拓郎から、曲を依頼されたことがあった。
「拓郎さんから“遺書のような曲を”と依頼されて作ったのが’95年に発表された『永遠の嘘をついてくれ』という曲です」(音楽ライター)
きっかけは、中島が’94年に発表した歌『ファイト!』だった。
「スランプに陥っていたころの拓郎さんが『ファイト!』を聴いて“自分にこんな曲はもう作れない”とこぼしたそう。『永遠の嘘~』は、そんな拓郎さんを励ますために中島さんが書いたといわれています。また、病気で入院していた拓郎さんを、中島さんは足しげく見舞い、励ましていたこともあったそうですよ」(音楽ライター)
吉田拓郎は、これまでにも、「あれは嘘だから」と、自分が言ったことを何度も軽く撤回している。
中島みゆきは、2021年に工藤静香に楽曲提供している。
今後の音楽活動は?
「もし、チャンスがあったらね。でも、今は自分のアルバムを作っていますから」
今も変わらず音楽活動を続けている。
今のことろ、「中島みゆき・引退説」はない。
最後に、ファンに向けたメッセージを記者が求めた。
「不安な世の中ですけど……お元気で。ぜひ、ライブでお会いしたいですね!」
岬めぐりの山本コウタローが死に、神田川の作詞者、喜多條忠も死んだ。
往年のフォークシンガーたちが表舞台から去る一方で、
中島はみゆきは、これからも闘い続けている。
記事は最後、「ファイト!」というエールで締めくくられている。
出典:中島みゆき、囁かれる“引退説”を初めて語った! 吉田拓郎の引退には「キャハハ」と笑みを浮かべて
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