尾崎豊『I LOVE YOU』の歌詞に隠された悲しい秘密の意味

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尾崎豊『I LOVE YOU』の歌詞に隠された悲しい秘密の意味

『シェリー』や『卒業』『OH MY LITTLE GIRL』などの名曲で知られる尾崎豊。その中でも『I LOVE YOU』は、尾崎豊の没後も若い世代に語り継がれている名曲の一つ。この歌詞に隠された悲しい意味について見てみたいと思います。

『I LOVE YOU』(アイ ラブ ユー)は、シンガーソングライター・尾崎豊の11枚目のシングル。アルバム制作で曲が足りなかったところ、その場しのぎで出来上がった歌だという。

名曲『神田川』も、歌詞と曲はすぐに出来上がったが、名曲というのは速攻でできあがる。想いが一気にあふれ出るからだろう。

ちなみに、『シェリー』という歌は、1988年9月12日に東京ドームで行われた「LIVE CORE」で尾崎豊自身が『シェリー』を歌う前に、

“この曲は後楽園の近くの川を見て作った曲である”と語っている。

この川とは、神田川。

おそらく、尾崎豊は喜多條忠が書いた『神田川』の歌詞にも強烈な印象を残していると思われる。

尾崎豊は、神田川を眺めながら、自分自身の非力さ、無力さ、弱さを見つめるしかなかった。そんな苦しみや悲しみから生まれた歌が『シェリー』だ。

『シェリー』とは、いったい誰なのか。

繁美夫人や恋人など、具体的な人物にあてたものではなく、弱い自分自身への問いかけ、あるいは尾崎の歌を聴いてくれるファンすべてにあてたものだと思われる。

『シェリー』のモデルは、繁美さんと考えていたが、もっと大きな神なるものに祈りをささげた歌のように思える。

繁美さんは18歳で尾崎豊と出会い、20歳で結婚。21歳で息子・裕哉さんを出産。24歳で夫である尾崎豊と死別している。

尾崎は『シェリー』の歌詞をつづるなかで、女神なる誰かに語りかけるような詞になっていったと思われる。

『シェリー』にはおそらく、もとのモデルのイメージはあったと思うが、特定の個人ではなく、もっと広い世界観、宇宙観があるように思えてならない。

尾崎豊が求めていたのは救いだった。

本題を『I love you』に戻し、その歌詞を見てみよう。

I love you 今だけは悲しい歌 聞きたくないよ

I love you  逃れ逃れ辿り着いた この部屋

何もかも許された恋じゃないから 二人はまるで 捨て猫みたい

この部屋は落ち葉に埋もれた空き箱みたい

だからお前は子猫のような泣き声で woo woo woo

きしむベッドの上で 優しさを持ちより きつく躰 抱きしめあえば

それからまた二人は目を閉じるよ 悲しい歌に愛がしらけてしまわぬ様に

若いころ、この歌を聴いて感動した。だが、純粋な愛を歌っているのに、なぜ悲しいのかがわからなかった。切ない恋を歌った歌では、宇多田ヒカルが十五歳のころにつくりあげた『First Love』などがあるが、それは恋するがゆえの切なさであり、悲しみではない。

尾崎豊が『I LOVE YOU』を書き上げたのも、宇多田ヒカルと同じ十代。尾崎豊の『I LOVE YOU』は恋の切なさではなく、純粋な悲しみだ。大人になって、この歌を聴いた時、その悲しみがよくわかるようになった。

尾崎豊の死因は? 遺書「死にたいと思っていた」

東京都足立区内の住宅街で、全裸で傷だらけになった尾崎豊が発見された。

1992年4月25日の朝。

すぐに救急車で病院に運ばれた。

医師は「生命に関わることも考えられるので、専門医に見てもらった方がいい」と診断した。だが、尾崎豊はそれを聞き入れず、妻と兄ともに自宅マンションに戻った。

その後、夜の10時ごろになって容体が急変。呼吸をしていないことに気がついた家族が119番通報。緊急搬送先の日本医科大学付属病院で生命維持のための緊急処置を受けたが、午後0時6分に、覚醒剤中毒(メタンフェタミン中毒)による肺水腫のために息を引き取った。

死因は極度の飲酒による肺水腫。だが、2年後の94年に、「死体検案書」のコピーが外部に流出。そこには、尾崎豊からの体内から覚せい剤が検出されたということが書かれていた。

急きょ、他殺説が浮上し、尾崎豊の実父や兄、ファンが再捜査を求め、10万人嘆願署名活動にまで発展。身の危険を感じた妻の繁美さんは、長男の裕哉を連れて渡米した。

彼の最期の言葉は「勝てるかな?」「さようなら 私は夢見ます」とされているが、亡くなる前に「兄貴、すまんな」と言っていた。

尾崎豊はつねに自らを破滅に導かなければ、歌を書けなかった。身を削り、命を削らなければ、『シェリー』『OH MY LITTLE GIRL』『I LOVE YOU』のような歌はつくれない。歌に対して、あくまでもストイックだった。

尾崎豊は、つねに「死にたい」と考えていた。

「遺書」は、1992年4月25日、死の間際まで持ち歩いたセカンドバッグに入っていた。

そこには、こんな文章がつづられている。

 先立つ不幸をお許し下さい。

 先日からずっと死にたいと思っていました。

 死ぬ前に誰かに何故死を選んだのか話そうと思ったのですが、

 そんなことが出来るくらいなら死を選んだりしません。

 (中略)

 さようなら

 私は夢見ます。

 さらに死の1カ月後、もう1通の遺書が見つかった。尾崎豊の母親の遺影に、そっと置かれていた。繁美夫人と1人息子裕哉へのメッセージが記されていた。

 私はただあなたを愛する名の神でありつづける。

 皆の言うことをよく聞いて共に幸せになって下さい。

 尾崎豊は、死の20日前に睡眠薬を飲み、夫婦そろって死のうと思っていた。

尾崎豊の遺体から致死量の2・64倍の覚せい剤が検出され、「他殺説」も浮上したが、当時の尾崎豊の胃腸は機能しないほどの極限状態で、覚せい剤を体内に吸収できない状況にあった。このため、医師は「自殺」と断言した。

『I LOVE YOU』の歌詞

尾崎豊の生涯を振り返る時、『シェリー』や『卒業』『OH MY LITTLE GIRL』『I LOVE YOU』といった名曲は、すべて遺書だったのではないかと読み解くこともできる。

『I LOVE YOU』の歌詞に出てくるのは、何かから逃れたいという悲痛な叫び。逃げても、逃げてもたどり着けない場所。捨て猫のような惨めさと孤独。

そんな中、きしむベッドの上で彼女と抱きあっていることだけが安らぎだった。

愛の中に浸って幸せでいたい。

だが、その愛の中で生まれた新しい生命は、日の目を見ることはなかった。

何もかも許された恋じゃない

空き箱のような部屋

世間から見放された捨て猫たち。

尾崎豊が『I LOVE YOU』をつくったのは十七歳。高校三年生のころ。

青山学院高等部に進学するものの、高校在学中には喫煙やオートバイでの事故などで停学。高校三年生の時には渋谷で同級生らと飲酒し、同じクラスの女子生徒が一気飲みをした事によって急性アルコール中毒で搬送。その直後には大学生のグループとパトカーが出動するほどの乱闘騒ぎを起こし、無期限停学処分を下された。

出席日数が足りず留年となり、卒業を間近に控えた1月末に自主退学。

1984年3月15日。尾崎豊18歳の夜。

青山学院高等部の卒業式の日に、尾崎豊のデビューライブが新宿ルイードで開催された。

ライブ当日、キャパ300に対して倍近い観客が押し寄せた。入りきれなかったファンのために急きょ、外にモニターが設置された。

その時、尾崎豊はこんなことを言っている。

ついこの間、僕は学校を辞めました。

やっぱり、学校を辞めるってことは学生だった僕にしてみれば、死ぬか生きるかってくらいのホントに大変なことだったんで。

考えてみれば、学校なんてそんな大したものじゃないのかもしれない。

僕の行ってた学校には礼拝っていうものがあって。これが結構いい話をして。悪人も必ず最後には救われる、そんな話を僕は最初は本気で信じて一生懸命お祈りしてました。

だけど、学校を辞める間際になって、僕はそんな礼拝を聞きながら、この新宿のイカレた連中のことや、ボロ着てる乞食のことや…

別に生まれたくて貧しく生まれてきたわけでもないのに、金持ちと貧乏の差っていうのが、生まれ持った運命の中にしっかりあって。

何かそんなことを考えているうちに、すごく祈ってることが陳腐に思えてきて。

一番俺に何が必要かって言ったら、やっぱり「この街でどうやって強く生きていけるか」ってことだと思ったんです。

この街の熱いハートと熱いビートが、いつも僕の胸には聞こえてきます。

俺はただ、自由になりてぇだけなんだ!

 俺はもう、偽善的な礼拝なんか絶対受けやしねぇぜ!

 自由じゃなけりゃ意味がねぇんだ!

 おまえらホントに自由か?

 腐った街で埋もれてくなよ…

 俺達が何とかしなけりゃよぉ

 何にもなんねぇんだ…

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 僕が本当に心から僕の同世代の人間に伝えたいのは、「いろんな生き方があっていい」ということなんだ。

周りの人間は、ホントにいろんなことを言うかもしれない。また俺の話になるけど、俺が高校を辞めたってことで、親はずいぶん四苦八苦して。

雑誌とかに載ったりして「まぁ、お宅のお子さん高校辞めちゃったの?」なんて言われると、「いえいえ、そんなことないんです」なんてごまかしたりして。

なんか、親って、大人って、そうやって臭いものにすぐ蓋をかぶせて物事をわかったような気になろうとしてるけど、本当はそうじゃないと思うんだ。

もっと大切なことってあると思うんだ。

それを俺たち若い連中が、これから作り上げていかなくちゃ、俺たち同じような大人になってしまうんじゃないかと思うんだ。

今の俺達に「反戦の歌を歌え」とか「革命を起こせ」とか、そんなどでかいことを言っても無理かもしれないけれど。

些細なことを…些細なことをいい加減にして過ごしていかないで、もっと真っ直ぐな目を向けてほしいと思います――。

I love youにこめられた悲しい秘密

矛盾を嫌っていた尾崎豊。初めてのライブでかっこいいセリフを吐いているが、淋しく悲しい心の疼きがあった。

I love you 若すぎる二人の愛には 触れられぬ秘密がある

I love you 今の暮らしの中では 辿りつけない

ひとつに重なり生きていく恋を 夢見て傷つくだけの二人だよ

何度も愛してるって聞くおまえは 

この愛なしでは生きてさえゆけないと woo woo woo

きしむベッドの上で 優しさを持ちより きつく躰 抱きしめあえば

それからまた二人は目を閉じるよ 悲しい歌に愛がしらけてしまわぬ様に

尾崎豊はナイーブで少年のような純粋な心を持っている。

「学校や家には帰りたくない!」「教室の窓ガラスを割った」など、歌詞はどれもストレート。

『I Love You』の歌詞にも、まっすぐな想いがつづられていた。

尾崎豊の創作ノートを見ると、『I Love You』の原型となる詩が書かれている。

彼女と深く恋におちたんだ

なにもかも ゆるされた恋じゃなかったけど

ある日 あの子に 出来ちまったんだよ

二人の愛の 無力さに 泣いたよ

彼女は まだ夢見ていたけどね

無茶すると 傷つくだけっていったじゃない

大人がいうよ

二人の愛の問題さ 口出しはやめてくれ

望まぬ妊娠をして、傷ついた二人の気持ちがつづられている。

これが事実かどうかはわからない。

だが、もしこれが真実とすれば、

若すぎる二人の愛には 触れられぬ秘密がある

今の暮らしの中では 辿りつけない

という悲しい歌詞の意味がすんなりと入ってくる。

ひとつに重なり生きていく恋を 夢見て傷つくだけの二人だよ

子どもを堕ろして欲しい、奪胎して傷ついた彼女は、

尾崎豊に泣きながら問いかける。

「私のことを愛してる?」

何度も愛してるって聞くおまえは 

この愛なしでは生きてさえゆけないと woo woo woo

奪胎して傷ついた二人は、やはり抱きあって慰めあうしかない。

きしむベッドの上で 優しさを持ちより きつく躰 抱きしめあえば

それからまた二人は目を閉じるよ 悲しい歌に愛がしらけてしまわぬ様に

「今の暮らしの中では辿りつけない」のも、高校生で、しかも退学寸前で、子どもや家庭を養う力がない。才能も経済力もない。未来が見えない中で、子どもを堕ろすしかなかった。

そんな中、尾崎豊にできることは、好きな彼女に

「ひとつに重なり生きていく恋を 夢見て傷つくだけの二人だよ」と歌うしかなかった。

彼女の親からも会うことを激しく拒絶された尾崎豊。

逃げ場のなくなった二人は、狭い部屋に駆け込み、最後に愛しあう。

お金のない高校生。おそらく場末のラブホテルだったのに違いない。

いまだけは悲しい歌聞きたくないよ

悲しい歌に愛がしらけてしまわぬように

尾崎豊の原詩集『僕を知らない僕』では、『I LOVE YOU』のタイトルは、『ベットの上のラブソング』だった。

『I LOVE YOU』

愛はやがて消えてゆく。

熱く燃えあがった愛は、いつか冷めて消えてしまう。

その恐怖。

二人は愛を確かめあうように体を寄せあう。

二人には愛しかない。

愛しか残っていない。

その愛の火を消したくない。

しかし、その愛から生まれた小さな生命を殺してしまった。

その矛盾。

I love you 若すぎる二人の愛には触れられぬ秘密がある

I love you 今の暮しの中では 辿り着けない

触れられない秘密。

堕胎した子供

それこそ「秘密」の正体だった。

若さゆえに子供を産み育てることができなかったこと。

かっこ悪いことを、美しく切ないハーモニーで歌うのが尾崎豊。

そこにファンもついてきた。

だが、デビューして歌がヒットして、気がついたら十代のような純粋な気持ちで歌をつくれなくなった。

尾崎が一番嫌っていた金と欲望にまみれた大人に、自分がなっていた。

自分が心から望んでいる歌を歌えなくなった。つくれなくなった。

それが、尾崎豊の死にたい、の正体ではなかったのか。

尾崎豊に子どもがいることを世間が知った時、失望感が漂った。

尾崎豊も、ただの人、ただの男じゃねえか。

そんな失望が聞こえてくる。

抑圧してくる巨大な大人の社会に対し、たった一人きりであれほどまっこうに挑んでいたのに、

平凡な幸せに逃げこもうとする尾崎豊を世間は許さなかった。

『神田川』と同じだ。

「あなたのやさしさが怖かった」というのは、社会や世の中を変えようと機動隊と死闘を繰り返している中で、彼女の笑顔と手料理、そんなささやかな小さな幸せに逃げこむ自分が怖かった、という意味だ。

だが、世間は尾崎豊の後ろに隠れるだけで、みずからが表に立って戦おうとしない。

陰口や悪口を言いあい、酒を飲み、カラオケや旅行、風俗で遊び、うさをはらしているだけ。世間をあっと言わせるような感動させる歌も詩も小説も書けない。

尾崎の歌に励まされた子どもたちはやがて社会人になり、

「いつまでも大人が悪い」と言えないことに気が付く。

自分自身が、薄汚れた、汚い大人になっている。

これまで自分をいじめつづけた大人になっている。

いじめられた気持ちがわかっているのに、自分たちが嫌っていた大人と同じことをしている。

なっていかざるを得ない。

尾崎豊は愛や理想を掲げるだけ。

愛を歌いながら、二人の愛の間にできた子供を殺してしまった。

尾崎豊は死を選んだ。

こんな歌手はもう現代の日本にはいない。

死ぬことで許してもらおうと思ったのかもしれない。

『I love you』のモデルとなった彼女

尾崎豊は、高校時代に付き合っていた彼女がいた。

だが、彼女の親がつきあいに反対し、彼女を北海道の親戚に預けた。

妊娠させられて、心も体も傷ついた娘を、親が守るためだったのではなかったのか。

この痛みや矛盾から生まれたのが、『I LOVE YOU』ではなかったのか。

そして、時は流れた。

尾崎豊の遺伝子は、息子である尾崎裕哉に受け継がれている。そこには悲しみはなく、純粋な愛の想いにあふれている。

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